テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1249話】「日本一からの招待」 2022(令和4)年9月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1249話です。

 地元の新聞「河北新報」の名前は、戊辰戦争に敗れた東北地方を軽視する言葉「白河以北一山百文」に由来します。明治30年創刊の河北新報は、この言葉を逆手に取って、東北復権の志を示そうと、敢えて「河北」と名付けました。

 高校野球界においても、「東北地方は一山百文」的な見方をされてきた時代がありました。甲子園で対戦相手が東北地方のチームに決まると、拍手が起こることもあったとか。完全に見くびられていました。無理もありません。気候風土をはじめ、様々なハンディキャップがありました。毎年のように早々に敗退する東北勢を見て、今年も白河の関を超えられなかったと言われてきました。これは単に、みちのくの玄関口白河の関を越えられないというだけでなく、まだまだ東北勢は弱いという認識を示したものでしょう。

 しかし、とうとうその認識を覆し、深紅の大優勝旗が白河の関を越えました。宮城県の仙台育英高校が、甲子園で優勝したのです。この優勝は一チームの優勝に留まらず、東北地方の百年に及ぶ宿願の達成でもあります。もはや「一山百文」などと言わせないという説得力のある快挙です。

 育英の須江監督の掲げたチームのスローガンは、「日本一からの招待」です。「『日本一を』取りに行くのではなく、『日本一』に招かれるようなチーム、高校球児になる」ことを狙いとしたのです。日本一になるには、勿論強さも必要でしょうが、日本一に恥じないような日常の生活も求められるでしょう。日本一にふさわしい練習や生き方ができているかと、常に省みながら鍛錬を積んできたはずです。

 育英は宮城大会の準決勝で対戦予定だった仙台南高校が、部員のコロナ感染で辞退したため不戦勝になりました。誰も不戦勝を喜んだ人はいないでしょう。監督は仙台南高校とも一緒に戦うつもりで、南高校のチームカラーであるオレンジの時計を着けて、甲子園で指揮していました。コロナ禍は野球ばかりではなく、学校生活にも様々な制約をもたらしました。監督曰く「青春って、すごく密なのです。それなのに全国の高校生は活動できない苦しい中、あきらめず、努力してきた。みんなに拍手してください」

 日本一に招待される人は、どうせ「一山百文」の安い土地だからとか、東北だから弱いとか言って蔑むのではなく、戦えなかった人とも、敗れた人とも、共に健闘を称え合うことができます。まさに慈悲の人です。慈悲の慈は「共に喜び」、悲は「共に苦しむ」という意味もあります。自分のことしか考えられない、煩悩の塊りの人には、慈悲心は芽生えません。そういえば、高校野球は今年108年目を迎えました。そして、硬式ボールの縫い目も108、更に我々の煩悩の数も108といわれます。育英チームは遊びたい・さぼりたいなど、108の煩悩を一つひとつ打ち砕いてきたからこそ、日本一から招待されたのでしょう。

 それでは又、9月11日よりお耳にかかりましょう。



8月23日付 河北新報(一面見開き記事)

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