テレホン法話 一覧

【第1265話】 「末期の水」 2023(令和5)年2月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1265話です。

 臨終に際して、親族が最初にすることは、「死に水」を取ることでしょう。ガーゼや脱脂綿を巻き付けた割りばしに水を含ませ、亡き人の唇を軽く潤してあげます。「末期の水」ともいいますが、どうして「水をあげる」ではなく、「水を取る」になるのか不思議です。

 さて、末期の水の起源はお釈迦さまと言われます。お釈迦さまは、今から2500年ほど前の2月15日に、80歳でお亡くなりになられました。説法の旅の途中で、激しい腹痛に襲われ、クシナガラの沙羅双樹の林の中で、身を横たえられました。死期を悟ったお釈迦さまは、喉の渇きを訴えられました。そばにいた弟子の阿難に「吾渇せり水を飲まんと欲す、汝水を取りに来たれ」と命じました。しかし、川の上流では500の牛車が渡ったばかりで、水は濁っていて、足は洗えますが、とても飲めませんと告げます。それでも3度阿難に「汝水を取りに来たれ」と言います。3度目に阿難が川に行ってみると、不思議なことに濁流が清水となっているところが見つかりました。そしてその水をお釈迦さまに差し上げることができました。

 このように末期の水を実際に取りに行ったということです。そして、死んでからではなく、亡くなる前にです。まさに清らかな水を川に取りに行って、最期の旅立ちに苦しむことなく安らかにという願いを込めて、差し上げたものです。

 やがて別の観点から、死んでしまえば食べることも飲むことも叶わないのだから、せめてはなむけに喉を潤していただきたいと、口に含ませるようになったのかもしれません。そして「死に水を取る」とは、亡くなった人が水分補給をする意味で、「水を取る」という表現になったともいえます。更に「死に水を取る」ということには、関係者が最後まで全面的に面倒をみるという意味も含まれるようになりました。「お前の死に水は俺が取るから心配するな」などと言うことがあります。いわゆる「最期を看取る」につながるものでしょう。「水を取る」がまさに「看取る」となるわけです。

 ところでお釈迦さまは、末期の水を飲む前に、看取っていた弟子たちに、諄々と説法をなさいました。最後の最後にこう言います。「汝等(なんだち)(しばら)く止みね、復た語(もの)いうこと得ること勿れ。時将に過ぎなんと欲す、我滅度せんと欲す。是れ我が最後の教悔(きょうげ)する所なり」弟子たちよ、嘆き悲しむのをやめて静かに私の最期を見守りなさい。時は過ぎつつあり、私は何の憂いもなく静かに安らかな涅槃に入るのだから。これが私の最後の教えであるぞ。そして満足して、清らかな末期の水を取り、息も引き取りました。

 ここでお知らせいたします。1月のカンボジアエコー募金は、1,370回×3円で4,110円でした。ありがとうございました。

 それでは又、2月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1264話】 「遺言」 2023(令和5)年2月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1264話です。

 インドに三かく長者というお話があります。恥かく・義理かく・欲かくの三かくに励んで、一代で富を築いたのです。やがて年老いた長者は、どんなにお金を貯めても、あの世には一文も持っていけないことを悟ります。そして息子に告げます。「わしが死んだら、お棺の両側に穴をあけて、空っぽの両手を出した姿をみんなに見せてくれ。死ぬときは何も持っていけないと言いたいのだ」。葬儀の時息子がその通りにすると、お棺から両手を出した長者を見た人々は、「やっぱり三かく長者だね。死んでもまだ、何か欲しいと手を出しているよ」

 三かく長者でなくても、誰でも死んでしまえば、すべての財産はこの世に置いていくしかありません。たいていは遺産相続をするでしょうが、相続人がいなければ、国庫に入り国の財産となります。本人が死亡し遺言もないとします。利害関係者の申し立てで、家庭裁判所が相続財産管理人を選任します。未払金などを清算し、相続人が本当にいないかを確認します。一緒に暮らしたり、身の回りの世話をしたりした「特別縁故者」がいれば、審判の上で分与されます。その他諸経費を差し引いて、残りは国庫に入ることになります。

 この相続人なき遺産が、2021年度は647億円で過去最高でした。10年前の2011年は332億円でしたので、倍近く増えています。その要因としては.単身高齢者の増加や未婚率の上昇が挙げられます。全くの「おひとり様」で相続人がいなくても、有効な遺言があれば希望する相手に、遺産を譲ることができます。判断能力がしっかりしているうちに、遺言書を作っておくのがよさそうです。

 さて、ある檀家さんの話です。73歳の男性は、町内でひとり暮らしでした。昨年11月に病院で亡くなりました。葬儀の依頼に来たのは、生前後見人の契約をしていた司法書士の方でした。生前と言っても契約したのは、亡くなった日の午前中でした。契約の数時間後に男性は目を落としたのです。後見人ひとりだけの参列でしたが、無事葬儀・納骨を済ませました。

 しかしその後、独り身と思っていた男性には離婚歴があり、子どもがひとりいることが判明しました。音信不通の状態でしたが、何とか手を尽くして探し当てることができました。男性はいくばくかの財産を残していました。葬儀その他の必要経費を除いて、相続権はその子どもにあり、きちんと譲渡できたということでした。年末にその子どもと後見人が訪れ、お墓にお参りをしていかれました。劇的な後見人契約を結んだ男性の生涯の潔さを見る思いでした。

 三かく長者でさえ、最期はきれいにまとめようとしました。しかし生前の印象があまりにも悪くて、丸く収まらなかったのは残念でした。「人は生きたように死んでいく」ジャーナリスト島﨑今日子の言葉です。良い遺言が残せますように・・・。

 それでは又、2月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1263話】 「貫く棒」 2023(令和5)年1月21日~31日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1263話です。

 箱根駅伝・鏡開き・どんと祭といっているうち、いつの間にか1月も下旬を迎えました。お正月ならではの行事や風景も何処にありやです。同時に新年に誓った今年こそはという決意や願いが薄れてはいませんか。

 〈去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの〉高浜虚子の句です。前住職の文英大和尚はいささか俳句をたしなんでいましたので、この句をよく紹介していました。過ぎし一年、新たな一年と時は移っても、棒の如く貫ける信念を持てということでもあったのでしょう。そして前住職は禅僧として当たり前とはいえ、毎朝のお勤めと坐禅を欠かしませんでした。その後ろ姿を見せられた私も、住職としてそれを受け継いでいます。

 さて、今年は東日本大震災で亡くなられた方の13回忌を迎えます。檀家さんも多数亡くなり、当時は葬儀等の仏事に追われる日々に忙殺されそうでした。そんな時、「貫く棒の如きもの」を思いました。世の中は未曾有の出来事でたいへんなことになっているが、今こそ棒の如きものを見失ってはいけないと、自分を鼓舞しました。亡き人やご遺族の方を思えば、住職がうろたえてどうするという気持ちでした。

 どんな異常事態でも朝は必ずやって来る。自分を見失わないためにも、せめて朝だけは、どっしりと構えようと覚悟しました。どんなに忙しくとも、前住職から受け継いできたお勤めと坐禅の時間は守り続けました。そのおかげで、大震災だからこれはできないとか、これだけで勘弁してもらおうという自分に都合の良い逃げ道を求めずに済みました。大震災前から普段に行ってきたからこそ、それができたと坐禅の有り難さを感じました。

 今は弟子と2人で前住職の心を受け継ぎ、5時に起きて朝のお勤めや坐禅を続けています。そして坐禅の最後には次のように唱えます「謹曰大衆 生死事大 無常迅速 各宜醒覺 慎勿放逸(つつしんでだいしゅにもうす しょうじじだいむじょうじんそく おのおのよろしくせいかくすべし つつしんでほういつなることなかれ)」。坐禅の終わりを告げる時などに打つ木版(もっぱん)に書かれている偈文です。「修行者たちに告げる。生きる死ぬは人生の一大事で、諸行は無常である。各々方よ、このことを悟るべく怠ることなく精進しなさい」という内容です。

 もう正月が過ぎたように、時は容赦なく流れていきます。そのような中で、「貫く棒の如きもの」を携えて流されない努力は必要です。そのことに早く目覚めなさいと偈文は言っています。日がな一日ぼんやりしたり、坐禅中に居眠りなどをしている暇はないのです。尤も、貫く棒も持たず、坐禅中眠っていれば、警策(きょうさく)というで、ビシッと肩を叩かれます。何事も辛は大事です。

 それでは又、2月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1262話】 「涅槃金」 2023(令和5)年1月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1262話です。

 私たちが本山などで修行する時、持ち物は修行に必要な最小限度しか許されません。金銭を所持することもできません。ただ「涅槃金」だけは、必要です。涅槃とは死ぬことも意味し、万が一修行中に死亡した際の火葬費用が涅槃金です。私のころは5千円でしたが、勿論それですべて賄える金額ではありません。いつ死んでもいいという覚悟で修行しなさいという意味も、涅槃金には含まれているのでしょう。

 さて、昨年7月25日に女優の島田陽子さんが、都内の病院でひとりで亡くなりました。69歳でした。日本人初のゴールデングローブ賞テレビドラマ部門主演女優賞を受賞するなど、国際派として活躍した方です。数年前から直腸がんを患っていました。亡くなる直前には経済的にも困窮状態にあったそうです。母親が亡くなった後は親族とは没交渉という事情もありました。居住区の渋谷区役所などが親族に連絡するも、遺体の引き取り手はありませんでした。渋谷区が2週間ほど遺体を保管した後、荼毘に付されました。

 生活保護法では、葬儀をする人がいないときは、自治体が火葬する定めになっています。島田さんもその例だったのです。その後、島田さんの遺骨は知人が引き取り、島田さんの両親が眠るお墓に納骨されたということです。島田さんほどの著名人であっても、その最後を自治体に委ねなければならないというのは、不憫なことです。

 そして現実は、身寄りがなく経済的に困窮して亡くなった人の葬祭費を行政が負担するケースが増えています。2021年度で4万8622件で過去最多となり、この10年で約1万件増加しています。ひとり暮らしの高齢者が増えていることはわかります。ひとり暮らしでも、どこかに身寄りや縁のある方がないとは言えません。ある終活支援センターの方は「かつては無縁仏のほとんどが身元不明者だったが、今では9割以上、身元がわかっているが引き取り手がない人だ」と言っています。つまりつながりが薄くなっているのです。

 終活だからとどんなに身辺整理をしても、死んでから自分自身でお棺に収まることはできないし、火葬場にも行けません。必ずどなたかのお世話になるのです。生きて巡り合った縁をお互い大事にしたいものです。それなのに今年も「今後年賀状による挨拶は控えさせていただきます」などと言う方もおり,正月から淋しい思いをしました。それぞれ都合はあるでしょうが、自ら縁を断つのはもったいないことです。もしかしてお互いのお年玉年賀状で一等賞品現金30万円が当たるかもしれません。当たれば十分な涅槃金となります。涅槃金は覚悟の象徴です。覚悟ができれば、あとは生き生きと過ごせます。

 ここでお知らせいたします。12月のカンボジアエコー募金は、1,205回×3円で3,615円でした。ありがとうございました。

 それでは又、1月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1261話】 「ツキを目指して」 2023(令和4)年1月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1261話です。

 あけましておめでとうございます。今年は兎年ですが、前回の兎年は12年前の平成23年あの東日本大震災があった年です。犠牲になられた方は斉しく13回忌を迎えます。丸12年なのに13回忌というのは、亡くなったその年の命日を1回目と数えるからです。今年が13回目の命日ということです。

 あの年の正月、誰もが大震災が起きるとは1ミリも思わず、兎年に因んで飛躍の年にしたいなどと1年の抱負を思い描いていたはずです。しかし想定外の現実が、抱負を恐怖に変えてしまいました。多くの尊い命とともに失ったものは数え切れません。ツキに見放されたと思った方もいたことでしょう。それでも被災地では、精進の歳月を重ねて、何とか日常生活を取り戻すまでになりました。今年の兎年には迷わず「跳ねてみる ツキ(月)を目指して 今年こそ」という抱負を書きました。幸運というツキと空の月を掛けていますが、月に兎ということでもあります。

 実はそう思わせるものが、昨年12月11日にあったのです。日本の宇宙ベンチャー「アイスペース」の、月探査計画「HAKUTO—R」によって、月着陸船が打ち上げられました。民間初のことで、計画通りなら今年4月末ごろには、月に辿り着きます。着陸すればランダ―という月着陸船から、ローバーという月面探査車が降ろされます。月の表面をその車が走り、様々な月の情報を日本にもたらすことが可能になるのです。計画名になっているHAKUTOは、勿論白兎のことです。月の影の模様が兎に見えるので月には兎が住む、という伝承に因んでいます。

 この飛行計画の興味深いところは、いったん地球から約150万キロメートルまで離れて、遠回りをして月に向かうということです。地球と月と月着陸船には、互いに引き合う引力があります。更に、太陽や大きな惑星による引力の影響もあります。それらを考慮して、時間はかかるが少ない燃料で行けるからだそうです。まるで亀との競争で不覚を取った兎の教訓を生かして、急がば回れとでもいうかのようです。

 兎と亀といえば、「兎角亀毛」という仏教語があります。兎の頭に角が生えたり、亀の甲羅に毛が生えるということで、どちらも現実に存在しないもののたとえです。しかし、12年前、現実には起きないだろうと思われた大震災が起きました。今年は月に行くことなど夢のまた夢と思っていたことが、現実になりつつあります。兎に角、今年こそは自分の現実なる足元の地面をしっかり固めて、亀の着実さと、脱兎の勢いも兼ね備えて、飛躍を目指しましょう。そんな姿を見せれば、見放されたと思っていたツキが、ひよっこりやって来るかもしれません。旧正月でもないのに「すみません、ツキ遅れでした」などと言って・・・。

 それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1260話】 「剃髪の恩返し」 2022(令和4)年12月21日~31日


お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1260話です。

 私たち禅僧は、4と9のつく日、つまり4日・9日・14日・19日・24日・29日と月6回自分で頭を剃ります。剃ったときはつるつるでも、5日もすれば結構伸びてきます。伸びた髪は煩悩にも譬えられます。禅僧といえども髪が伸びるように、煩悩が消えることはありません。そのことを自覚して、精進するように髪を剃ります。

 その象徴的な事は、俗世間から出家して僧になるときの第一関門である、剃髪の式です。私は大学を卒業して、僧として本山に修行に行くことになりました。本来は師匠に剃刀を入れてもらって、剃髪をします。しかし若気の至りで、普通に長い髪でしたので、髪を剃る前に、髪を短くしなければなりません。そこで、いつも通っていた斎藤床屋さんに行って、訳を話し髪を落として剃ってくださいとお願いしました。さすがに斎藤さんは驚き、「ほんとうにいいんですか」と、2度聞き返されました。そう言われると、出家の決心が揺らぎましたが、何とか踏みとどまって、人生初のつるつる頭になりました。私にとって斎藤さんは、出家の時に最初の剃刀を入れていただいたのですから、師匠と同じです。

 実は先日その斎藤さんが88歳で亡くなられました。通夜の席で出家の剃髪の話を披露しました。家族の方は初めて聞く話で、びっくりしていましたが、「父は和尚さんと素晴らしいご縁があったんですね」と、感謝されました。勿論、感謝するのは私の方こそです。おかげさまで、斎藤さんの最初の剃刀以来、何とか僧としての姿を保ち、髪を伸ばすことなく、今日まで勤めてきました。もはや斎藤さんのお世話になることはありませんでした。

 そして、今度は私が葬儀において、斎藤さんの頭を剃髪し、ご恩返しをすることができました。葬儀は仏弟子となる式です。儀式とはいえ、出家していただくのです。そのため、式の最初に剃髪を行います。実際に剃刀を持つことはありませんが、次のように唱えて、剃髪の意義を伝える作法を行います。「流転三界中(るてんさんがいちゅう) 恩愛不能断(おんないふのうだん) 棄恩入無為(きおんにゅうむい) 真実報恩者(しんじつほうおんしゃ)」つまり「物と欲にまみれた世界をさ迷う者は、決して煩悩を断つことができない。煩悩を捨てて、計らいのない出家の道を歩むのが、仏の恩に報いる者である」ということです。斎藤さんの仏の道安らかならんことをお念じ申し上げます。

 さて、間もなく除夜の鐘です。一年間の煩悩を清めて新しい年を迎えましょうと願って、鐘は響きます。良いこともあったでしょうが、醜い煩悩を含め、いやなこともありました。作家の宇野千代さんは言いました。「『いやなことは』大急ぎで忘れる」。年内中に実行してください。そして来年も4と9のつく日は山ほどあります。剃髪をせずとも、煩悩を遠ざける日に致しましょう。

 それでは又、新年1月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1259話】 「大條家の茶室」 2022(令和4)年12月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1259話です。

 歴史上、伊達政宗は2人います。伊達家9代目と17代目の政宗です。17代目があの独眼竜政宗です。9代目の弟にあたる孫三郎宗行は、福島県伊達市梁川町の大枝邑の領主となったため大條姓を名乗りました。そして大條家菩提寺として徳本寺を開きました。581年前の室町時代初めの頃です。

 時は移り、17代政宗が仙台藩を開いたのに伴い、400年ほど前、大條家は宮城県山元町に領地替えとなり、徳本寺も現在地に移りました。以来大條家は仙台藩の奉行職として仕えました。ところが文政10年(1827)仙台藩主斉義(なりよし)が急死し、徳川将軍の子が仙台藩に送り込まれそうになりました。その時大條家15代道直(みちなお)が、伊達家の血を絶やしてはならぬと、幕府に掛け合い、伊達一門から斉邦(なりくに)を藩主に迎えました。その功績により、伊達家より茶室を賜ったのです。

 その茶室とは、一説には政宗が豊臣秀吉より拝領して仙台城に移築したといわれたものでした。当初仙台の大條家敷にありましたが、昭和7年大條家のお城がある山元町坂元の三の丸に移築されました。現在は町指定文化財になっています。しかし、老朽化が進み、東日本大震災での被害もあり、立ち入り禁止状態です。茶室は仙台城唯一の遺構であり、県下最古の茶室という貴重な建物です。何とか復興しなければと、私も発起人の一人となり、「山元いいっ茶組」を立ち上げ、その茶室に光を当てるべく、様々な活動をしてきました。

 この度、やっと町で復興事業に着手し、令和6年度に一般公開を目指す方針が定まりました。それを踏まえて、茶室の歴史やその存在を多くの方に知っていただく催しを、先日徳本寺で開催しました。電子紙芝居や寸劇、更には茶室にまつわるクイズ大会で、理解を深めていただきました。

 仙台時代の茶室には、そうそうたる文人達が集い、多くの書画作品が残されました。特に大條家最後の殿様といわれる17代道徳(みちのり)は、書画を描き文人としても才を発揮し、文化活動の場として茶室を活用していました。更に道徳は戊辰戦争の折、その戦後処理に奔走し、伊達家の窮地を救い、家名存続に導きました。その働きにより、藩主伊達慶邦(よしくに)より、大條から伊達の姓に戻るように命じられました。そして伊達宗亮(むねすけ)と改名。大條家は17代目より伊達の姓を名乗ることになりました。その宗亮の4代後の子孫に伊達みきおなる人物がいます。あのサンドウィッチマンです。

 歴代の大條家殿様の活躍により、貴重な茶室が残され、伊達という尊い名前も絶えませんでした。更には日本中の人気者サンドウィッチマンまで輩出しています。茶室復興の暁には、大條家の気風を受け継ぐ文化サロンとして活用できるよう願っています。それまでは、大條家菩提寺徳本寺の「3分間心のティータイム」で、心を潤してください。そして「お茶でも飲みましょう」という禅の言葉「喫茶去」を味わっていただけたら幸いです。

 ここでお知らせいたします。11月のカンボジアエコー募金は、1,712回×3円で5,163円でした。ありがとうございました。
 それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。

【第1258話】 「スジャータの供養」 2022(令和4)年12月1日~10日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1258話です。

 特許庁による知的財産を保護する商標登録に「音商標」というものがあります。その中にコーヒー用ミルク「スジャータ」のCMソングが登録されています。当時の名古屋製酪株式会社(現スジャータめいらく株式会社)の日比孝吉社長が、お釈迦さまのお悟りの因縁の話を聞いて、スジャータという製品名にしたそうです。昭和51年製品発売から全国のラジオ局で時報CMとして35年もの間流れていました。今やスジャータと言えばコーヒー用ミルクという風に定着して、商標のお墨付きに至りました。

 お釈迦さまは29歳の時「生老病死」という人生の根本的な悩みを解決するため、釈迦族の王子という地位も捨て出家します。森の中で他の修行僧とともに、厳しい修行に打ち込みます。断食やイバラの床に伏したり、炎で身をあぶる、また呼吸を停止するなど尋常ならざる行です。その結果、手足は痩せ細り、瞳は落ち窪んでしまいました。6年間の苦行は何ら悩みの解決には至りませんでした。

 そこで山を下ります。やっとのことで尼連禅河のほとりに辿り着き、沐浴して身を清めますが、疲れ切った身体は倒れてしまいます。そこを通りかかったスジャータという娘が、乳粥という米を牛乳で煮たものを供養します。おかげでお釈迦さまはすっかり体力を回復し、大きな菩提樹の下で、決意も新たに一週間坐禅を組み続けました。

 しかし、闇が訪れると人間の心の中にある煩悩が、悪魔の姿となって、襲ってきます。「一度きりの人生、悟りなど考えずに、富や権力にすがり、毎日楽しく暮らそう」という誘惑や、雷や地割れ・暴風などで恐怖心を煽り、お釈迦さまの決意を揺るがせようとします。お釈迦さまは悪魔の正体がわが心の迷いであることを見破り、悪魔を退散させました。そして12月8日明けの明星をご覧になり、縁起の法を悟られました。すべての現象は、様々な原因や条件によって成り立っているということです。この日を道を成就したという意味から「成道会」といいます。

 「生老病死」は避けがたい現実です。私たちは生まれるとき、何か迷いはありましたか。洋の東西を問わず貧富の差も関係なく、誰しも1年に365日分、年を取り、100パーセント死にます。迷っても生まれる前には戻れず、若返えることはできません。迷わず今なすべきことに心を尽くすことが、良き縁との巡り会いにつながります。

 そもそもスジャータの乳粥がなければ、お釈迦さまは悟りへの道を進むことができなかったかもしれません。お釈迦さまの生涯の中でも特筆すべき供養の食物といわれる所以です。たまたま日比社長がその話を聞き、迷わずスジャータを商品名にした先見の明は、さすがです。さて、私たちの人生もお釈迦さまから商標登録のお墨付きをいただけるよう、迷わず生きたいものです。3分間のティータイムにスジャータを入れながら思い巡らしてみてください。

 それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。

【第1257話】 「失敗こそ」 2022(令和4)年11月21日~30日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1257話です。

 「失敗のない人生は、それこそ失敗でございます」知恵ある老人の言葉として、作家の森まゆみさんが新聞で紹介していました。山ほど失敗を重ねてきたわが人生は、あの失敗がなければと、後悔しきりです。それでも一つだけ誇れる失敗があります。

 大本山總持寺で修行を始めて間もない頃です。修行道場の中枢ともいうべき僧堂でその失敗がありました。僧堂では起きて半畳、寝て一畳と言われる「単」という自分のスペースが与えられます。坐禅や食事・寝起きをするところです。

 たまたま僧堂に忘れ物を取りに行ったところで、先輩和尚さんに出会い「コラッ!お前は何という格好をしているんだ」と、いきなり叱られました。「僧堂に作務衣で入るとは何事だ。ここは神聖なところだ。きちんと衣を身に着けろ。着替えて出直して来い」。私は僧堂に作務衣で入ってはいけないことを知らなかったのです。

 ともかく衣に着替えてくると、外単という僧堂の外にあたるところで坐禅を組まされました。先輩も衣ですが、手には警策という長い棒を持っています。「作務衣で僧堂に入るとは、修行の第一歩を分かっていないな。お前を送り出してくれた国の母親が見たら、何と思うか。立派に修行して戻ってきてほしいと願っている母を思い浮かべてみろ」と言って、パンパンと警策で肩をたたかれました。いわゆる失敗や悪いことをしたときにたしなめる罰として警策の「罰策」です。

 更に説教は続きます。「總持寺の御開山瑩山禅師の母親は、熱心に観音さまを信仰し、観音さまのような子が生まれるようにと、願をかけられた。『世の中で役に立ち人々を導けるような子であって欲しいが、そうでなければ、私の腹の中で朽ちてしまうことも厭いません』。そんな強い思いを抱いて瑩山禅師をお産みになったのだ。それに応えるかのように、禅師は御本山を開かれるまでの修行に励まれた。お前はその瑩山禅師のお膝元で修行しているのだ。国の母親も気持ちの上では同じであろう。何事も疎かにせず、しっかり修行せよ」パンパンと、また警策の音が堂内に響いたのでした。

 失敗も修行のうちです。失敗して覚えることの方が多いかもしれません。ただ、修行は自分だけのことではないのだ、母親はじめ私を案じてくれている人を思えば、いい加減なことはできないと肝に銘じました。この一件のおかげで、本山では曲がりなりにも人並みの修行の道を歩むことができました。その後、先輩は何かにつけ良きアドバイスをくださいました。今では警策ならぬ杯を酌み交わすこともある間柄です。

 因みに瑩山禅師がお生まれになったのは、文永5年(1268)11月21日です。たまたま私の誕生日も11月21日です。どなたの母親も子に対する願いは一緒ですが、応える子どもはそれぞれです。瑩山禅師のようにはなれませんでしたと、毎年の誕生日には、母親のお墓の前で手を合わせている私です。

 それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。

【第1256話】 「テレホン法話で六根清浄」 2022(令和4)年11月11日~20日


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1256話です。

 「お寺のイメージが私の中ではくつがえされました。参加出来たことに感謝致します」これは先月徳本寺で行われた第16回テレホン法話ライブのアンケートに寄せられたある女性の声です。因みにその方は、友人に誘われてお出でになり、これまでテレホン法話を聴いたことはなかったようです。

 観光寺院は別として、お寺に対する一般的イメージは、抹香臭い、近寄りがたい、暗くて閉鎖的など、あまり良くありません。死んでからお世話になるところと思われがちですが、生きているときにこそお寺に親しんでいただきたいのです。

 いつでも、だれでも、どこからでも仏の教えを聴いていただけるようにと、35年前からこのテレホン法話を開設しています。それでもある種のもどかしさがありました。ほんとうに伝わっているのだろうか。仏教語は聞くだけでは分かりにくいこともあります。そこでテレホン法話ライブを始めたわけです。本堂でテレホン法話をじかに語りかけるものす。内容に因んだ写真や言葉をスクリーンに映します。時には御詠歌で法話の内容が深まります。何より法話にふさわしいピアノ演奏で、臨場感あふれます。また3分間心のティータイムと謳っていますので、お茶の接待もあり、今回は途中でバイオリン演奏も楽しんでいただきました。

 涙を誘う話や、笑ったりなるほどと頷ける話もありました。迫力あるバイオリン演奏で、元気をもらった人も多かったでしょう。そう感じられるのは、眼・耳・鼻・舌・身・意という「六根」つまり、め・みみ・はな・した・からだ・こころのおかげです。その知覚器官を柔軟にしておけば、仏の教えも体全体に染み込みやすくなります。知覚の構造はだれでも共通ですが、どのように判断するかは人それぞれです。芭蕉の耳に届いた蝉は俳句にも残り誇らしいでしょうが、私が聞いた蝉は日記にも残らず気の毒です。まさに六根清浄なれば、何を見ても聴いても的確な判断ができます。

 テレホン法話ライブの最後の挨拶で、仙台市の髙橋さんという92歳の女性からのはがきを紹介しました。「今朝も食事の後片付けが終わり、一息入れて先ず、テレホン法話を携帯から聞いて、今日のことが始まります。日中もホッと一息、淋しさにやり切れなくなれば、救いの神にすがるように、携帯を耳に当てて法話を聞きます。私のお守りです。ただ感謝です」。テレホン法話がみなさまの日常の一コマとなり、柔軟にして清浄な六根を養えましたら幸いです。

 私のお寺らしいイメージは、六根を清浄に保つお手伝いをすることです。たまたまそれが、テレホン法話であり、テレホン法話ライブなのです。お電話下さる方がいるからこそ、続けてこられました。法話をお聴きのみなさまこそが、お寺や私にとっての守り人です。

 ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、2,020回×3円で6,060円でした。ありがとうございました。
 それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。