テレホン法話 一覧
【1332話】 「プラスの縁マイナスの縁」 2024(令和6)年12月21日~31日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1332話です。
「元旦は卑怯ですよ」。能登半島地震で里帰りをしていた家族を亡くした人の言葉です。正月でなければ家族を亡くすこともなかった。せめて一日でもずれていればとやるせない思いが言わせたのでしょう。
あれから間もなく1年が経とうとしています。この時期になると誰しもが1年を振り返りますが、被災地では、振り返るのも辛いという方もいらっしゃるでしょう。楽しいはずの正月が、吹き飛んでしまい、非情なる現実となったのですから。最近の報道による能登半島地震の被災者アンケートでは、63%の人が復旧や復興が進んでいないと答えています。地震前から兆しがあった人口減の加速、水道や道路などインフラ復旧や倒壊家屋解体の遅れなど、課題が浮き彫りになっています。
因みに、13年前の3月に東日本大震災で甚大な被害を被った我が山元町の歳の暮れはどうだったかを思い起こしてみました。道路を含めてインフラは復旧を終え、いよいよ復興へ踏み出そうという時期でした。私も兼務する徳泉寺では伽藍など全て流出してしまい茫然自失でしたが、この頃になり何とかしなければという思いが湧いてきました。そして「はがき一文字写経」を全国の方に呼びかけて、復興を目指す気持ちを固めたのです。9年の歳月を要しましたが何とか伽藍を再建できました。
縁あって出会うこともあれば、縁あって別れることもあります。いや、別れるのは縁がなかったからではと言うかもしれませんが、別れも縁なのです。プラスの縁もあればマイナスの縁もあります。諸行無常です。私もあなたも等しく1日24時間、1年365日与えられていますが、1日いや1秒たりとも時計の針を戻すことはできません。時計は常に新しい時間を刻んでいきます。
しかし今年のお正月から時間は止まったままだという方もいるかもしれません。諸法無我です。すべてのものには我というものがないのです。だから変化できるのです。どんな生き物も自分だけで生きていくことはできません。支えられ支えていく、それが縁です。プラスの縁ともマイナスの縁とも向き合うことができたとき、苦しみが和らぎ、時計の針の動きが見えるはずです。私にとって伽藍の流出はマイナスの縁でした。その縁を受け入れ「はがき一文字写経」というプラスの縁に転じることができました。
「今日の自分は今日でおしまい。明日また新しい自分が生まれてくる」。これは千日回峰行を2度満行した酒井雄哉大阿闍梨の言葉です。千日間で約4万キロ地球1周分を歩き、続けられなくなったときは自ら命を絶たなければならないという命懸けの修行です。過ぎた道のりを振り返るより、次の一歩を踏み出すしかない前向きな気概が伝わります。どなたさまも卑怯でない正々堂々とした正月を迎え新しい自分に出会えますように・・・。
それでは又、新年1月1日よりお耳にかかりましょう。
【1331話】 「肘を断つ」 2024(令和6)年12月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1331話です。
お釈迦さまは菩提樹の下で坐禅を続け、12月8日にお悟りを開かれました。仏教の誕生でもあります。その因縁により、修行道場では12月1日から8日まで坐禅三昧の摂心という修行に入ります。明けて9日には断臂摂心(だんぴせっしん)というこれまた夜中までの坐禅が続きます。
断臂とは肘を断つということです。何と物騒なと思うでしょうが、こんな話があるのです。今から1500年ほど前、達磨大師がインドから中国に渡り、真の仏法である坐禅の教えを伝えました。とは言っても達磨大師が、みなさんにすぐに受け入れられたわけではありません。諦めずいつの日か正しい仏法を中国に根付かせようと、揚子江を渡り嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)に入ります。洞窟で壁に向かって、ひたすら坐禅に励みます。壁に向かったその後ろ姿は、手も足もないかのように見え、みなさんご存じの達磨さんの姿に重なるわけです。
さて、達磨大師が少林寺に入った翌年の12月9日のこと。その日はあいにくの大雪でした。神光(しんこう)という修行僧が弟子入りを志願して、達磨大師を訪ねます。しかし何としても入門を許されません。降りしきる雪の中、寒さに堪えながら外で立ち尽くしました。「道を求めるのに容易(たやすい)いことはないのだ。これしきの事で挫けるものか」と、自分を奮い立たせました。そして、夜が明けた時、神光は渾身の力で決意の程を示すのです。右手の刀で左腕の肘を切り落とし、達磨大師の下に差し出したのです。それを見て、達磨大師は神光の弟子入りを許しました。
達磨大師は面壁九年と言われるように、長いこと壁に向かって坐禅を修行しました。神光もおそばに仕えて、その教えを会得して、達磨大師より跡を継ぐべくお袈裟を授けていただきました。達磨大師はお釈迦さまの弟子としては28代目ですが、中国では初代の祖師です。その弟子神光は二祖となり太祖慧可と称されています。達磨大師亡き後、太祖慧可は30年以上も中国で教化を続け、禅の教えを広められました。
断臂摂心は太祖慧可の命を懸けた仏道を求める心意気を、万分の一でも感じ取る時です。太祖慧可の言葉に「了了として常に知る」があります。了了とは了解の了と書き、明らかではっきりした様を言います。どんな時も迷いや煩悩が消えてなくなり、ほんとうに大切なものが何であるかがはっきりわかりましたということでしょう。坐禅をすると清々しい気持ちになります。宇宙とひとつになった気分で、日ごろの不平不満や自分をよく見せようという驕りが何とちっぽけかを実感します。私たちは肘を断つほどの覚悟はできなくとも、肩肘張らない生き方を心がけることは大事です。
ここでお知らせいたします。11月のカンボジアエコー募金は、749回×3円で2,247円でした。ありがとうございました。
それでは又、12月21日よりお耳にかかりましょう。
【1330話】 「茶室とサンドウィッチマン」 2024(令和6)年12月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1330話です。
「大條家茶室には僕の祖父・祖母が新婚の折に泊まったりもしたようです」これはサンドウィッチマン伊達みきおさんが、先月24日に行われた大條家茶室の修復完成記念式典に寄せたお祝いメッセージの一部です。
サンドウィッチマンがどうして大條家茶室につながるのでしょう。実は歴史上伊達政宗は2人います。仙台藩の独眼竜政宗は伊達家17代です。それより古い9代目にも政宗がいて、その弟の孫三郎宗行は福島県伊達市の大枝邑(むら)の領主となったため、大條姓を名乗ります。そして大條家菩提寺として徳本寺を開きました。今から583年前の室町時代初めです。その後、国替えとなり宮城県山元町坂元に移り、徳本寺も移転し現在に至ります。約400年前、政宗が仙台藩を築いた頃です。
そして大條家は仙台藩の重臣を担います。その間2つの大きな手柄を挙げます。ひとつは大條家15代道直の時、伊達家の殿様が若くして亡くなったために、跡目騒動がありました。その時道直が尽力して、伊達家の血筋を守ったのです。そのご褒美として伊達家の茶室を拝領しました。それは伊達家血筋が途絶えなかった生き証人ともいうべきものです。もうひとつは大條家17代道徳(みちのり)の時、明治維新により伊達家存亡の危機があったものの、道徳の活躍で伊達家を守ることができました。この功績により、大條から伊達姓に戻るようにとの命を受け、伊達宗亮(むねすけ)と名乗ることになりました。その4代後の子孫が伊達みきおさんなのです。
茶室は当初、仙台の大條家屋敷にありましたが、昭和7年に大條家の領地である山元町坂元の蓑首城_(みのくびじょう)三ノ丸跡地に移築されました。一説には伊達政宗が豊臣秀吉から賜った茶室とか。実際はそこまでの裏付けはできないものの、江戸後期の建物で、仙台藩の茶の湯文化を伝える唯一の茶室と言われる、貴重な建物です。現在は山元町指定文化財になっています。
しかし、老朽化に加えて、東日本大震災等の被害により、存続の危機にさらされました。町全体が甚大な被災状況にあり、文化財の復旧にまで至りませんでした。令和に入りやっと町の復興が落ち着き、本格的復旧計画が始まりました。全国からのクラウドファンディング等のご支援も受けて、この度無事修復が完成したのです。この呼びかけには、サンドウィッチマンの働きも大きかったのです。大條家は伊達家の血筋を守り、伊達家の存亡の危機を救いました。そしてその子孫である伊達みきおさんも、伊達家の歴史的遺産の茶室を復興する一翼を担ったのです。
文化財の修復は可能な限り元の部材を利用しなければなりません。土台部分が一番傷みが激しいのですが、腐った部分だけを新たな部材で補修する「根継ぎ」という工法を用います。釘は使いません。まさに大條家は伊達家の土台となって、傷みに耐えて遺産を守りました。それは我々に歴史を軽んぜず、先祖を大切にしなければいけないと釘を刺しているかのようです。
それでは又、12月11日よりお耳にかかりましょう。
【1329話】 「色褪せない思いやり」 2024(令和6)年11月21日~30日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1329話です。
個人的な話で恐縮ですが、11月21日で74歳になりました。古稀と喜寿の中間で、特別な意味はありません。またこのテレホン法話を始めて、今年で37年になります。これも40年にも満たず、特別感はありません。しかし、37年の倍が74年ということに気づきました。つまり我が半生はテレホン法話と共にあったということです。袈裟を纏った僧侶ゆえの、少し大袈裟な話です。
37年前の昭和62年12月21日より、突然前住職よりテレホン法話のバトンを渡されました。返事は「イエスかハイ」しかない待ったなしです。当時の心境についてはほとんど覚えていません。ただ、最近古い新聞記事の切り抜きを目にしました。
それは私がテレホン法話を始める4日前の出来事の記事です。昭和62年12月17日に千葉県で震度5を記録した地震がありました。成田市の26の公立の小・中学校でも、ガラスが割れたり壁が崩れる被害がありました。そしてある小学校の3年生のクラスでの話を紹介しています。
激しい揺れがおさまって、みんな机の下から出てきました。1人の男の子がいつまでも泣き止みません。担任の先生がなだめながら訳を聞きました。「4つの妹が、ひとりで部屋にいます。お母さんは働きに行っていない。家に帰りたい」と言うのです。先生はその子の家庭が母と子の3人暮らしだったことに気づきました。あわてて男の子の手を引いて家に駆けつけました。ドアを開けると、緊張しきった女の子の顔がありました。次の瞬間、4歳の妹は「お兄ちゃん・・・」と叫んで駆け寄ってきました。たちまち笑顔が戻ったのです。
その昔どうしてこの記事を切り抜いて保存していたのか、これまた説明に窮します。ただ37年も経った今も、心惹かれる内容であることは間違いありません。第一に地震は今も日常的に各地で発生しています。そんな中でいざというときに家族の絆が大切なことは、誰もが感じてきたことです。4歳の女の子は、1人家に残されて激しい揺れの中、どれほど恐怖を覚え、心細かったことでしょう。そこにやってきたお兄ちゃんは、まさに救世主です。お兄ちゃんは3年生とはいえ、自分もこんなに怖い思いをしているのだから、妹はもっとたいへんなはずだ。早くそばに行ってあげたいという健気な思いやりが、先生の行動を促したのでしょう。
私は常々思いやりは想像力だと思っています。自分のことしか考えられない人は想像力が乏しいのです。特に困っている人に対して、心から寄り添える人は想像力が豊かな人ではないでしょうか。何の志もなく始めたテレホン法話ですが、それは反省しつつ、我が半生をかけて伝えたかったことの根底にあったのは、この男の子のような心やさしさだったような気がします。時代を越えても色褪せない思いやりには、大袈裟などということはありません。
それでは又、12月1日よりお耳にかかりましょう。
【1328話】 「お舎利」 2024(令和6)年11月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1328話です。
新米が出ると真っ先に、お寺に持ってこられ「ご本尊のお釈迦さまにお供え下さい」という檀家さんが何人もいます。ほんとうに有り難いことです。そのお下がりをいただく度に、「銀シャリ」を実感します。
シャリは寿司屋の符丁ですし飯のことです。お釈迦さまの遺骨はインドの言葉「シャリーラ」を音訳して「舎利」あるいは「仏舎利」とか「お舎利」と言いますが、白くて米粒に似ていることから、ご飯をシャリと呼ぶようになったのでしょう。私もあるお寺で仏舎利を拝ましていただきましたが、米粒の感じでした。そして新米ともなれば一粒一粒が光っていてまさに「銀シャリ」そのものです。
さて、大阪の四天王寺は今から1400年以上前の推古天皇元年(593)に、日本最初の官寺つまり国家が造った寺で、聖徳太子ゆかりの寺です。そして「日本書紀」によれば、30年後の623年には、新羅より仏舎利を贈られ四天王寺に納めたという記録があります。先日四天王寺お参りの際に、珍しい法要に巡り合いました。「舎利出(しゃりだし)」というものです。中心伽藍の金堂に安置されている「南無仏のお舎利」を出し奉り、毎朝供養して参詣者の頭上に戴くものです。そのお舎利は聖徳太子が信心した「お釈迦さまの左眸(ひだりめ)」と伝えられています。
「舎利職」という導師を勤める僧侶が特別な作法で身を清めて堂内に入ります。「舎利礼文」というお舎利を讃えるお経が唱えられる中、舎利職はお舎利が入った容れ物を参詣者の頭上に触れます。お舎利を戴くのは、自分自身の信仰心を深めることになり、ご先祖さまや一切の亡くなった人への追善供養として功徳があるとされています。当日は外国人も多くいて、お舎利を頭に戴いていました。
普段私たちがお釈迦さまを拝むといっても、仏像としてのお釈迦さまです。お舎利はお釈迦さまの紛れもないお身体の一部ともいえるものです。その尊いお舎利を自分の頭に戴けるとは、お釈迦さまと一体になることを暗示させるものなのでしょう。舎利礼文というお経には、「入我我入 仏加持故 我証菩提」という一節があり、仏の不思議な力によって、仏と私が一体となり、悟りを開きますとお示しです。そして多くの人々のために修行を積み、あらゆる徳を具えたお釈迦さまに近づけるようにという願いが込められています。
徳本寺にはお舎利はありませんが、その分檀家さんがお供えする新米がお舎利そのものです。自分と仏さまが一体になっている供養の姿とも言えます。仏さまに見守られているおかげで、今年も立派な新米ができましたという感謝の思いも込められています。それを見てお釈迦さまは言うかもしれません。「私に新米というシャリを供えるとは、どんぴしゃりな供養だな」
ここでお知らせいたします。10月のカンボジアエコー募金は、657回×3円で1,971円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月21日よりお耳にかかりましょう。
【1327話】 「祇園精舎の鐘」 2024(令和6)年11月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1327話です。
平安時代の頃、琵琶法師は琵琶を弾きながらお経を読みました。その後、平家物語に曲をつけて語る流れができました。仏教との関りは古いのですが、残念ながらこれまで、琵琶を聴く機会がほとんどありませんでした。
10月27日に徳本寺で行われた「第18回テレホン法話ライブ」で、やっとその心に沁みる調べに接することができました。ゲストでお出でいただいた鶴田流琵琶奏者の榎本百香さんの弾き語りです。薩摩琵琶の本体は桑の木でできています。そして撥の大きさには驚きました。持つところはついていますが、30cmほどの大きな三角形で柘植の木です。三味線の撥よりはずっと大きく、5本の弦を捌きます。叩き撥と言って、弦と胴に同時に叩きつける弾き方や、スリ撥では弦をこすりつけるようにしてシュルシュルと風のような音を出すなど、思った以上に多彩な音色を奏でます。
そして、その語りはまた独特です。榎本さんは普段は可愛らしい女性の話し方です。ひとたび琵琶を弾き語るその声は、同じ人の声とは思えない重厚さで、聴く人の耳にずっしりと落ちてくる感じです。聴いた人のアンケートによれば、初めて琵琶を聴いた人ばかりですが、みなさんその深い響きと迫力が印象に残ったようでした。
さて、演目の一つが「祇園精舎」でした。平家物語の冒頭でお馴染みです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす。奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛(たけ)き者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」
祇園精舎とはインドのコーサラ国にあったお寺で、お釈迦さまが説法を行った場所です。その教えの根幹にあるのは、すべてのものは常に変化し続けるという諸行無常です。また沙羅双樹はお釈迦さまが亡くなったところにあった木ですが、朝咲いて夕方には散るという儚さの象徴でもあります。この語りが琵琶の調べにのせて本堂内に響くと、それはそれは無常の極みそのものでした。水を打ったような静寂に包まれ、ひと時幽玄なる世界に浸ることができました。
そしてその日の夜、幽玄なる余韻は諸行無常の現実へと導かれました。衆議院選挙の開票があったからです。長年一強に胡坐をかき裏金議員を多数輩出した与党は、過半数割れという厳しい世間の審判を受けました。まさに「奢れる人も久しからず」です。数の力で自分たちの都合を優先し、国民の方に目を向けていなかった報いでしょうか。裏金より祇園精舎の鐘にこそ価値を見出し、盛者必衰の理を忘れてはならなかったのです。
それでは又、11月11日よりお耳にかかりましょう。
【1326話】 「両手の作法」 2024(令和6)年10月21日~31日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1326話です。
「人間の歴史は手の歴史」と言ったのは、無著成恭さん。多くの動物は4本足で歩くので、手はなく自分でものを作れません。人間は2足歩行で、2本の手があり、田畑を耕したり、必要なものを作り、扱う作法もできます。
さて、ある高名な布教師さんが、法話の会で滔々(とうとう)と説教をしました。仏さまの教えを分かりやすく説き、聴く人に感動を与えました。万雷の拍手を浴びて、退堂し控室に戻ってきました。そこには今まで布教師さんのお話を聴いていたある女性が、お茶の接待をするため待機しておりました。
「布教師様、たいへんお疲れさまでした。とても良いお話で心が洗われました。ありがとうございました」「いやいや、駄弁を弄して失礼いたしました」と謙遜したものの、次の瞬間の布教師さんの行動を見て、その女性は一気に醒めてしまいました。女性は正座をしていましたが、布教師さんは戻ったばかりなので、立ったままでの受け答えでした。それは百歩譲るとしても、目の前の座布団の位置を、立っているその足で、ずらしながら座ろうとするのです。足で座布団を移動させるとは、なんと横柄な態度なんだろうと女性はがっかりしました。
そして、先程の布教師さんの話の一節を思い出したのです。「威儀則仏法(いぎそくぶっぽう)作法是宗旨(さほうこれしゅうし)」という話の中で、仏になるために規律に適った立ち居振る舞いをするのではなく、立ち居振る舞いがそのまま仏法であると説かれていました。つまり間違ったことをしようと思っても、自分が仏と自覚すれば、とてもそんなことはできないということです。
たかが座布団、されど座布団です。座るとき、多少の座布団のずれがあっても、膝を折って両手で直して座るのが仏法以前の作法というものです。高尚な仏法の話をしながら、言うことと成すことに乖離があっては、説得力がなくなります。
楽だからと言って、手ですることを足でするようになったら、動物と同じです。こんな言葉に出会いました。「らくのなかに だらくがひそむ」ちょっとした気のゆるみの座布団の直し方で、布教師さんへの信用が台無しになるばかりか、仏の教えも価値がなくなります。そして私たちの両手は合掌という究極の作法ができることを忘れてはなりません。合掌は右手を仏、左手を自分とみなし、それがひとつになった姿です。自分の一挙手一投足は仏そのものであることを表しています。合掌のあと、ひらく両手に仏を宿しましょう。
ここでお知らせいたします。10月27日(日)午後1時30分より徳本寺にて、第18回テレホン法話ライブを開催いたします。ゲストは琵琶奏者榎本百香さん。入場無料です。また、9月のカンボジアエコー募金は、883回×3円で2,499円でした。ありがとうございました。
それでは又、11月1日よりお耳にかかりましょう。
【1325話】 「はらこめしと仏飯」 2024(令和6)年10月11日~20日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1325話です。
わが山元町は小さな田舎町ですが、この時期、行列ができる店があります。「はらこめし」を提供している店です。はらこめしは、鮭の煮汁でご飯を炊き込み、その上に鮭の切り身とはらこをのせたものです。はらことは鮭の卵いわゆるイクラのことです。隣の亘理町荒浜が発祥の地ですが、亘理郡内に行き渡っていて、家庭ごとに自慢の味付けがあるほどです。荒浜は阿武隈川の河口にあります。川に鮭が上がってくる10月に鮭漁(さけりょう)が解禁になり、はらこめしの季節がやってきます。
阿武隈川の鮭は、江戸時代から秋の珍味でした。特に伊達政宗が献上されたはらこめしをたいそう喜ばれ、広く世に知られるようになったといいます。元々荒浜では神社の秋祭りに、神饌料理として新米と鮭ではらこめしを作り、神に捧げていました。五穀豊穣と豊漁(ほうりょう)を祝い、神様と一緒にはらこめしを分かち合う祈りの食文化を育んできたのです。そして10月8日を「はらこめしの日」に定めました。
さて、私にとって「はらこめしの日」より忘れてはならないのが、10月11日です。師匠であり父であり、徳本寺前住職文英大和尚の命日です。私は徳本寺に生まれましたが、線香のせいばかりではなく、寺を煙たがっていました。子どもの頃、事あるごとに父に言われました。「寺に生まれ育った限りは、仏飯をいただいているのだから、そのことだけは忘れるな」。仏飯とは仏に上げるご飯のことです。毎朝本堂に上げる仏飯のお下がりをいただいて我が身を養うという理屈です。実際は寺では檀家さんから「月牌(がっぱい)」と称するお米をあげていただきます。月牌とは月と位牌の牌と書きます。毎月先祖の位牌にご飯をお供えしてくださいということで、毎年1軒当たり1升のお米を預かるわけです。そして毎月どころか毎朝本堂で各家の先祖供養のお勤めをしています。
その月牌のお米は寺を守る者の食い扶持にもなっているのです。そういう意味では、お釈迦さまはじめ、亡くなられた仏さまのおかげで、私は命を養ってきたといえます。仏飯をいただく者は、仏さまを粗末にすることなく、檀家さんに感謝しなさい。お経は読めなくとも、子どもなりにできることがある。ということで本堂の雑巾がけは、学校に行く前の日課でした。寺は住職個人の所有ではなく、檀家さんの寺です。みなさんと共に、仏さまを守り信仰心を養う場として、維持管理すべきことを、仏飯によって教えられました。
はらこめしが自然の恵みに感謝する神饌料理であるように、月牌のお米は仏さまを守り敬う尊いお供えです。そのことを改めて噛みしめて、今日も感謝して仏飯をいただきます。
ここでお知らせいたします。10月27日(日)午後1時30分より徳本寺にて、第18回テレホン法話ライブを開催いたします。はらこめしを食べたついでに、お立ち寄りください。ゲストは琵琶奏者榎本百香さん。入場無料です。
それでは又、10月21日よりお耳にかかりましょう。
【1324話】 「少年の心 達磨の心」 2024(令和6)年10月1日~10日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1324話です。
心理学者の児玉光雄は、大リーグの大谷選手を「少年の心を持つスーパーアスリート」と表現しています。少年時代から野球を楽しむ心を忘れず、自発的に物事に取り込める姿勢が、想像を超えた活躍に繋がっているというのです。
大谷選手は50-50つまり、50本塁打50盗塁という夢のような記録を、軽々と超えてしまいました。アメリカでは宇宙人が野球をしているのかとさえ言われています。しかし、本人は数字にこだわっているそぶりを見せません。兎に角、バットで遠くまでボールを飛ばす、塁に出たら次の塁を目指すという、極めて自然体で野球に臨んでいます。
子どもの頃から、打って走ってセーフになれば、野球は楽しいと誰でも思っていたはずです。その楽しいことのためなら、自ら進んで練習に励むということを、大人になっても変わらずできているのが大谷選手なのです。結果だけに一喜一憂しているうちは、「良かった」「悪かった」という相反する価値観に振り回されて、平常心でいられなくなります。良し悪しを引きずらず、無心になれることが結果に出ているのでしょう。
これは禅の教えにも通じます。10月5日は達磨忌と言って、達磨さんの遺徳を偲ぶ日です。達磨さんは今から1500年以上も前に、インドから中国に渡り、お釈迦さまの教えを正しく伝えた方です。達磨さんは中国で梁の武帝という皇帝とこんな問答を交わしています。「私は寺を造り、たくさんの僧を育成して仏教に帰依してきたが、どんな功徳がありますか」「無功徳」「それでは尊い仏教の極意とは何ですか」「廓然無聖(かくねんむしょう)」
武帝は仏教に貢献していることを達磨さんに自慢したかったのです。達磨さんは、その手柄に囚われていることを見抜きました。これだけ尽くしたとか、尽くさないという対立の概念に陥っていることを断じて、「無功徳」と答えたのです。そして「廓然無聖」こそが仏教の真髄であると教示しました。
廓然とはがらんとして広いさまをいい、無聖は聖なるものはない、つまり聖とか凡という計らいを捨てた無心の境地のことです。からっと澄み渡った大空のように、何らこだわりも区別もない心の持ちようを表しています。たとえ寺を造ったとしても、偉ぶることもなくただそのまま、淡々として無心でいられる姿をいうのでしょう。
大谷選手のさわやかな笑顔は、まさに廓然無聖です。これだけの記録を残すまでには、日々よほどのトレーニングを積んでいるはずですが、微塵も見せません。また昨年右肘の手術をし、今年になって、専属通訳者が違法行為で逮捕され、億単位の被害を被っています。心身共に相当の痛手があったはずなのに、この活躍なのです。七転び八起きの達磨さんの精神力も備えているようです。
それでは又、10月11日よりお耳にかかりましょう。
【1323話】 「土俵に彼岸を見た」 2024(令和6)年9月21日~30日
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お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1323話です。
大相撲秋場所6日目結びの一番。大関豊昇龍が平幕王鵬にすくい投げで敗れました。余程悔しかったのでしょう。土俵を拳(こぶし)で突き、きちんと礼をすることなく、花道に向かったところ、審判長に呼び止められ、再び土俵に上がります。そこでも礼が合わず再びやり直しをさせられました。洒落ではありませせんが、異例なことです。
相撲は勝負事ですが、神事でもあり神聖なる土俵を突くなどもっての外です。相撲には様々な所作があり礼が重んじられ、国技たる由縁です。勝てばいいというものではありません。モンゴル出身とはいえ、大関ならばそこはわきまえるべきです。もっとも勝負に対する貪欲さがあって、大関にもなり、一連の不遜な態度にもつながっているのでしょうか。
勝負事以外でも、生きる上では欲は必要です。食欲や睡眠欲など命を保つ上でなくてはならないものです。しかし貪欲は仏教では「貪(とん)・瞋(じん)・痴」という三毒の一つに挙げられます。貪(とん)は貪欲の貪(どん)という字で「むさぼり」、瞋(じん)は瞋恚(しんい)の瞋で「怒り」、痴は愚痴の痴で「おろかさ」を指します。
彼岸に渡るのに三途の川を越えると言いますが、三毒を克服した先に彼岸があるということです。そのために六波羅蜜の教えがあります。波羅蜜とはサンスクリット語のパーラミターの音訳で、「彼岸に渡る」という意味です。「1布施・2持戒・3忍辱・4精進・5禅定・6智慧」という6つの修行を実践することにより、三毒をなくし、身も心もさわやかに生きられる彼岸に渡りましょうということです。
豊昇龍の場合は、三毒に呑まれ5つ目の禅定という落ち着き・冷静さに欠けていたのでしょう。翻って3つ目の忍辱つまり苦しみに耐えそれに打ち勝って進むことと、4つ目の精進という力を尽くし怠らず努力することを20年も続けている力士がいます。豊昇龍と同じモンゴル出身の玉鷲です。秋場所3日目に、初土俵から1日も休むことなく1631回の連続出場の新記録を打ち立てました。現在39歳で、2年前の秋場所には、37歳10カ月で2度目の優勝を果たし、最年長優勝の記録も持っています。日本国籍も取得し、あと2年は頑張りたいと言っています。
19歳のとき、体が大きいということで相撲に関心を抱き、日本に留学していた姉を頼って来て、片男波部屋に入門できました。これまでの最高位は関脇で、十両との往復は6回に及びますが、「ただ楽しく相撲を取っている」と言って現在に至ります。そして「1日1番」のつもりでとる相撲には明日への欲が見えて嫌いだと言います。「明日なんてどうなるか分からない。いつ土俵で死んでもいい」そんな覚悟で毎回土俵に上がるそうです。怪我もし、やめようと思ったこともありながら、連続出場を果たしているのは、勝てばいいという貪欲さを越えた、土俵を彼岸と思える忍耐努力があったればこそなのでしょう。
それでは又、10月1日よりお耳にかかりましょう。