テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第922話】「完食」 2013(平成25)年8月1日-10日

住職が語る法話を聴くことができます

 922.JPG
 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第922話です。
 「嫌いな食べ物は何?」と聞くと、「トマト」「ジャガイモ」「野菜」などという答え。先日開催した「わたり坐禅のつどい」に参加した小学生に尋ねた質問です。しかし昼食の時、1年生から6年生までの50人の参加者は、実によく食べました。お代わりをする子が何人もいました。それもそのはず、カレーライスだったのです。苦手と思える野菜サラダもついていましたが、頑張って食べていました。45回目を迎えた坐禅のつどいですが、私が知る限りにおいては、これまでカレーライスを嫌いという子どもはいませんでした。
 坐禅という非日常の体験を通して、日頃気づかないことにも、心を通わせて欲しいわけですが、食事の作法もそこに含まれます。おいしい、まずいという前に、食材にはすべて命があり、その命を私たちはいただき、自分の命としているという自覚が必要です。勿論、食材を作った人、それを料理した人など、数えきれないお陰を経て、私たちの食事となるのです。「いただきます」とお称えせずにはいられませんし、ご飯一粒に至るまで、無駄にはできません。その意味で、カレーライスは最適です。
 さて、昨年12月東京都調布市の小学校で、給食を食べた後に、食物アレルギーのある5年生の女子が死亡するという事故がありました。その子は乳製品にアレルギーがありましたが、お代わりを求めた際に、担任教諭は食べられない食材が記入された一覧を確認しないまま、チーズが入ったチヂミを渡してしまったというのです。何ともやりきれないことです。
 その母親は、アレルギーを自覚していた娘がなぜお代わりをしたのか分からずに、苦しんでいました。しかし、今年の新盆にお参りに来てくれた娘の親友の話で、納得ができました。それによると、あの日、給食に出たチーズ入りのチヂミは不人気で、たくさん残っていました。娘は「クラスに貢献したい」一心で、めったにしないお代わりをしたというのです。それというのも、クラスでは、給食を残さず完全に食べきる「完食記録」を目指していたからです。「クラスのため」「残さず食べる」どれもほめられるべきことですが、それが徒(あだ)になってしましました。
 修行僧にとって食事も修行の一つです。作法に則り、無駄のない食事を心がけます。それは単に残さないということではりません。分に応じて食事を提供していただき、その分については、無駄にすることなく、食べきるということです。しかし「分に応じて」というのが難しいのです。みなさんもバイキング料理で、見境なく皿に取り分け、結局残してしまったという経験があるのではないでしょうか。自分の体調・食欲などを冷静に判断して、最初から無理というものには、箸をつけない勇気が、分をわきまえていると言えます。元々、間に食べる「間食」という言葉はあっても、完全に食べきる「完食」などという言葉は辞書にも載っていないのですから、クラスの「完食記録」にも味気なさが残ります。食べるのに競う必要はどこにもありません。一人ひとりの「」は、自しかからないのです。
 それでは又、8月11日よりお耳にかかりましょう。

最近の法話

【第1368話】
「後期高齢者」
2025(令和7)年12月21日~31日

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1368話です。 先月75歳の誕生日を迎えました。いただいたプレゼントは、後期高齢者医療資格確認書です。まだ現役の住職ですし、高齢者だからと甘えてはいられません。それでも年齢は正直です。 亘理郡内に曹洞宗寺院が13カ寺あります。私が徳本寺・徳泉寺という2カ寺の住職を勤めていますので、住職は12人です。その中でいつの間にか最年長に... [続きを読む]

【第1367話】
「安青錦」
2025(令和7)年12月11日~20日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1367話です。 野球の本場アメリカで、アメリカ人以上の活躍をする日本人の大谷翔平。一方、国技である相撲では、ウクライナ出身の安青錦(あおにしき)が、九州場所で初優勝を果たし、大関に昇進しました。 安青錦の祖国ウクライナにロシアが侵攻し始めたのは、3年前の2022年のこと。出稼ぎをしていた母を... [続きを読む]

【第1366話】
「濁れる水」
2025(令和7)年12月1日~10日

住職が語る法話を聴くことができます お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1366話です。 〈濁れる水の流れつつ澄む〉自由律の俳人山頭火の句です。山頭火は大正14年43歳の時、出家して曹洞宗の僧侶となりましたが、住職になることはありませんでした。44歳から行乞放浪の旅に出ます。「漂泊の俳人」とも称されました。 晩年は愛媛県松山市に「一草庵」という庵(いおり)を結びま... [続きを読む]