テレホン法話
~3分間心のティータイム~

【第1125話】「投書というお供え」 2019(平成31)年3月21日~31日

住職が語る法話を聴くことができます


 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1125話です。

 今年のお正月の松が明けて間もなく、80代の女性の葬儀が仙台でありました。元々徳本寺の近くで生まれ育った方です。晩年ひとり暮らしをするようになってから、仙台にいる妹さんのそばに移り住んでいたのです。正月という時期でもありましたし、故郷を離れてからの歳月もあり、葬儀は極近い身内の方だけで、しめやかに営まれました。

 そして、今月6日が彼女の四十九日だったのですが、その前日の5日の朝の新聞を見て驚きました。彼女の幼なじみのNさんの「亡き友へ」という投書が、河北新聞に掲載されていたのです。家が近所だったので、縄跳びやお手玉をして遊んだこと。彼女は5人姉妹の長女で、たいへんしっかり者だったこと。人一倍手先が器用なうえに、筆も立ちよく新聞にも投稿していたことなど、人柄がにじみ出る内容の文章でした。その最後には、「私の拙い文が、お星さまになった彼女の供養になればうれしいです」と結んでありました。

 供養になるどころではありません。5日は彼女の妹さんたちが集まり、徳本寺のお墓に納骨することになっていた日なのです。まるでそのタイミングを見計らったかのような投書の掲載なのですから。その日の供養の後、ひとしきり投書の話になりました。妹さんたちは、驚きと同時にたいへんうれしくて、早速新聞を切り抜き大事にしていきますということでした。勿論、お墓でもそのことを伝えていたことは言うまでもありません。

 亡き人とのお別れに、通夜や葬儀でまごころを尽くすことは当然のこととして、そのあともどれだけ亡き人を想い続けられるかが、更にたいせつなことでしょう。逆を言えば、想い続けていただけるような生き方をしなければならない、ということでしょうか。

 「死んだ人は『どこにもいない』のではなく、『どこにもいかない』のだ」とは、詩人の長田弘の言葉です。死んでしまえば、確かに肉体はなくなり、その存在も消えてしまいます。いくら探しても、「どこにもいない」のは、その通りです。しかし、その人の生き方によっては、「あなたはどこにもいかず、いつもわたしのそばにいるよ」と、想われることがあるはずです。死んだ人は記憶の中にあって、年をとらないともいわれます。死んでも死なない命を育てられた人を、仏さまと言ってもいいでしょう。

 誰しも幼いころの記憶は忘れがたく、何十年経とうが懐かしく思い起こすものです。それを新聞投書という具体的な形で、死んで尚つながり合えるとは、うらやましい幼なじみです。直接彼女を知らない人も、その投書を読んで、お参りしたいという気持ちになったかもしれません。今彼女のお墓には、彼岸花以上の尊い花が、たくさん供えられているかのようです。

 それでは又、4月1日よりお耳にかかりましょう。

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